日本の「キューバハウス」にお迎えする光栄をいただいた政府関係者の皆様、
各国大使閣下、外交団の皆様、日本の広範な各界友人の皆様、
祖国を自らのものと感じる同胞の皆さん、アーチスト、スポーツ関係者、そして全てのキューバ人の皆さん、
ご来賓の皆様、
私達が尊敬するある友人が言っていましたが、天体の全ての星が一直線につながると、今日のこの集いのような素晴らしいパーティーが実現するそうです。今私達は全てのキューバ人が深く愛する人、まさにキューバの、そして世界のディーヴァ、私達の愛するオマラ・ポルトオンドさんを迎えています。
キューバ大使館一同と在日キューバ人協会は、オマラさんのご来館に深く感謝します。またブルーノート東京と六本木EXシアターにもお礼申し上げます。皆さんのご援助とご努力がなかったら、この夢を実現することはできませんでした。またこの集いは日本人キューバ移住120周年を記念するものでもあります。
1969年に日本は初めて私達の愛して止まないオマラさんをその地に迎えました。その時は有名なロス・パピネスと一緒に日本各地で43回の公演を行っています。その時以来の49年間に、オマラさんは17回も訪日し、数多くの都市で何十回にも及ぶ素晴らしいコンサートの成功を収めて来られました。時には、神話的なブエナビスタ・ソシアルクラブの一員として、あるいはマエストロ、チュチョ・バルデスと一緒に、イラケレとともに、あるいは白石Yoshiroさんや東京キューバンボーイズのような素晴らしい日本のミュージシャンやアーチストと一緒に。
彼女の芸術はキューバと日本の間に橋をかけ、両国を隔てる地理的な距離を文化で消し去ることを助けてくれました。オマラさんはキューバのポピュラー音楽の最も代表的なスターの一人です。それは彼女のものとなったジャンルであるフィーリングを育て最も権威ある「フィーリングの恋人」となったからだけでなく、わが国の内外で、様々な演奏と権威ある舞台に特別な刻印を残したからです。
オマラさんはその敏速な順応性でもって、事実上すべてのキューバ音楽のジャンルと様々な形のグループを網羅しています。
キャバレートロピカーナの「炎のムラタ」、アナカオナ・バンドと、カルテット「ラスダイダ」と、もっと最近では有名なブエナビスタ・ソシアルクラブの彼女を思い出さない訳にはいきません。シルビオ・ロドリゲスの「La era está pariendo un corazón」やマリア・テレサ・ベラの「20 años」のようにオマラによって永遠の歌となり既に彼女の一部となっている音楽もあります。
オマラは魔力であり、喜び、甘さ、そしてキューバそのものです。芸術の道を歩き始めてから今日まで、舞台では常に、情熱に身をまかせ、その若々しい微笑みと素朴さ、そしてわが国キューバと我らがアメリカ全てに典型的な小悪魔の魅力ですべての人を包み込みます。
去る18日と20日にブルーノートとEXシアターで彼女の公演をごらんになった人は、快いキューバのリズムに包まれて、時にはアカペラで響き渡る彼女の声の深さと美しいメロディーを確かめることができたことでしょう。
2011年の東日本大震災の時に彼女から届いたお見舞いのメッセージは、愛情の表明とともに、いつも自分を歓迎してくれた国、素晴らしい力とエネルギーをその特徴として賛美していた国で起こった全てのことに対する悲しみに満ちたものでした。それは将来への確信と日本国民は必ず克服するという信頼を表明するものでした。メッセージに続き、何週間か後にはコンサートを通じてお見舞いの気持ちを届けています。
わが国文化の生きる栄光、類まれなるキューバ人オマラに敬意を表するために私達が何をやろうとも十分ではないでしょう。しかしそれを試みないのは単純に、許されないことでしょう。今日はささやかですが私達の敬意を表したいと思います。それは日本との長年にわたる絆の歴史を思い起こし、日本と共有する感情をこめたものです。演奏するのは日本に在住するキューバ人アーチストのコミュニティの代表です。彼らは、オマラさんへの賛美と愛情をもって、彼女のレパートリーから代表的な何曲かを演奏いたします。
またこの機会に、今回の思い出深い訪日のささやかな記念品を差し上げたいと思います。東京在住の若いキューバ人画家、アルベルト・ベルブサンドがこの時のために特別に描いた作品です。
オマラさん、キューバ民族のシンボルとなってくれたことに、我々のアイデンティティの中心であるわが国文化を自分自身の中に体現してくれたこと、とくに我が国民の切り離すことのできない一部でいてくれることに感謝します。
ご清聴ありがとうございました。この日本の「キューバハウス」で、我々の音楽史の中の最もキューバ的な楽曲をお楽しみください。