知られざる医療先進国キューバの取組み(2)
カリブ海に浮かぶ人口1,100万人の島国・キューバ。レトロな街並みとクラシックカーが人気の観光地だ。音楽とラム酒と葉巻のイメージが強いキューバだが、独自の対策と開発した薬により、今回の新型コロナウイルスによる感染症の抑え込みに成功しつつある。<特集(1):「キューバはいかにしてコロナを封じ込めたのか 経済制裁の中で発達した医療システムと独自の医薬品が奏効」参照>。
その背景には、キューバが国を挙げて推進してきた「プライマリケア」の取り組みがある。
プライマリケアとは簡単に言うと「身近にあって、何でも相談にのってくれる総合的な医療」である。その定義や意味合いは幅広く、用いられる場面や状況によって若干ニュアンスが異なる場合があり、簡潔にすべてを包含できる解釈は難しいが、1996年の米国国立科学アカデミー(National Academy of Sciences, NAS)が定義したものによると『プライマリケアとは、患者の抱える問題の大部分に対処でき、かつ継続的なパートナーシップを築き、家族及び地域という枠組みの中で責任を持って診療する臨床医によって提供される、総合性と受診のしやすさを特徴とするヘルスケアサービスである』と説明されている。すなわち、国民のあらゆる健康上の問題、疾病に対し、総合的・継続的、そして全人的に対応する地域の保健医療福祉機能と考えられる。
キューバは世界で最も「プライマリケア」を推進している国のひとつであり、その結果として、キューバの医療水準は、先進国に劣らない、もしくはそれ以上のものとなっている。
長年、キューバを始めとした世界の医療制度と統合医療について研究している公益財団法人未来工学研究所特別研究員で明治国際医療大学客員教授や一般社団法人日本統合医療学会業務執行理事を務める小野直哉さんに、キューバ医療の歴史とその実力について、話を聞いた。
「キューバは一般的な開発途上国ではない」
「キューバは皆さんが想像するような一般的な開発途上国ではない」。インタビューの冒頭、小野氏は切り出した。「貧しい、モノがない、医療も遅れている、そのような途上国のステレオタイプは捨てるべきだ。」と語る。特に、医療の分野におけるキューバの「外れ値」具合には目を見張るものがあると言う。例えば次のような事実がある。
キューバは、新型コロナウイルス対策において、近代医療の標準的検査や治療と共に、全国民に対し独自に開発した重症化を予防する自然伝統医療の薬(PrevengHo-Vir)を使用し、感染拡大を抑え込んでいる。PrevengHo-Virは、WHO国際臨床試験登録プラットフォームにも登録されている自然伝統医療の一つであるホメオパシー薬(レメディ)で、ウイルスに対し抵抗力をつけ、急性呼吸器疾患に対する予防として適用されている。PrevengHo-Virは、国家医薬品設備医療機器管理センター(CECMED)に承認されており、キューバではインフルエンザ、風邪、デング熱、新たに出現するウイルス感染症に対し推奨されている。
人口1,000人当たりの医師数は6.7人と、日本の2.3人を大きく上回っており、出生時平均余命は79歳と、アメリカと同値だ(『世界の統合医療の現状-Integrative Medicine & Health Careの国際比較と今後の動向』より)。また、国策として災害医療・医療外交に力を入れており、年間約4万人の医師を国際災害支援のために、海外のハリケーンや地震の被災地へ派遣している。
このような実績を誇る「医療先進国キューバ」はどのような歴史的経緯で現在の姿になったのだろうか。
革命後、教育の無償化と識字率の向上で高度専門職を量産
1959年のキューバ革命成功の後、政府が最初に行った制度改革は、社会保障と医療、教育の無償化だ。この政策により、キューバの識字率は1981年には97.85%、2002年には99.75%にまで向上した(WDIーWorld Development Indicatorsより)。「この識字率の高さは他のラテンアメリカ、いわゆる途上国ではあり得ない数字だ。」と小野氏は語る。高い識字率のおかげで教育水準が向上し、高度専門職人材の量産が可能になった。
高レベルの医療従事者を多数輩出できる背景には、「成長より分配、社会的公正を優先させる」という革命以来大切にされてきたキューバの政治哲学がある。
ソ連崩壊がきっかけで医療体制が危機。予防医療の推進へ。
キューバの医療の特徴は、予防医療を医療政策の中心に据え、プライマリケアの充実をはかっている点である。転機はソ連の崩壊にあった。革命後、アメリカからの制裁で厳しい経済状況に置かれていたキューバは、ソ連にサトウキビを売る見返りに、医療機器・医薬品、エネルギーの支援を受けていた。しかし、1990年ソ連の崩壊に伴って対ソ依存型の経済モデルは継続不可能になり、キューバの食料・エネルギー・医療事情は窮地に立たされた。
さらにアメリカからの経済制裁が強まることで、キューバは医薬品の輸入が困難になり、「西側諸国由来の医薬品を使わずにどのようにして現状の医療水準を維持するか」という自主独立の道を歩まざるを得なくなった。「自然伝統医療を活用した予防医療の推進という政策は、明日死ぬかもしれない、というシビアな状況で生まれました。」と小野氏は語る。キューバ革命の立役者、チェ・ゲバラは元々医者でもある。ゲリラ戦では十分な近代医薬品に頼ることが難しく、その場に自生する薬草などを用いて負傷者の医療処置を行わなければならないこともあった。革命以降、近代医療は充実していったが、有事に備え多様な医療の選択肢を確保しなければならない必要から、自然伝統医療の研究が、キューバ革命を率いたフィデル・カストロの実弟で当時国防大臣だったラウル・カストロ主導の下、キューバ軍で1980年代に着手された。1990年代にはキューバ軍による薬草の本が出版されている。このような歴史的背景もあり、自然伝統医療が充実する素地があり、自然伝統医療に対する不信感や、懐疑もキューバという国には希薄であった。同時にソ連の崩壊に伴う厳しい経済状況の中、キューバは医療従事者を世界中に派遣し、世界中の先端医療技術と共に自然伝統医療の両方を国内に取り込んでいく政策をとった。その結果、近代医療と自然伝統医療をハイブリッドしたキューバ独自の統合医療が生まれることになった。
予防医療分野における「周回遅れのトップランナー」
「キューバほど、予防医療・自然伝統医療に力をいれている国はありません。唯一であり、世界一。周回遅れのトップランナーです。」と力を込めて語る小野氏。1990年代、物資が不足している中で予防医療を推進したことが奏功した形だ。2000年代になると、物資の状況が改善し、近代医療と自然伝統医療の融合がさらに進んだ。加えて、1980年代から進めてきた家庭医の仕組みが国内の隅々まで張り巡らされたことにより、「統合医療」を活用したプライマリケアは他国が追従できない水準となった。キューバが予防医療の分野で「周回遅れのトップランナー」と評される理由がここにある。
キューバが行っている「統合医療」とは
では、キューバが行なっている統合医療を活用したプライマリケアとは、具体的にどのようなものだろうか。統合医療とは、近代医療と共に伝統医療や相補・代替医療を併用する医療として2000年前後に米国で提唱され始めた。プライマリケアとは「身近にあって、何でも相談にのってくれる総合的な医療」のことを指す。
キューバの家庭医の仕組の特徴は、地区ごとの家庭医と看護師各一人の組み合わせでプライマリケアを行い、病気となる確率を徹底的に下げていく点にある。家庭医と看護師は生活者の一人として地域に住み込み、地域の住民と顔の見える関係を築いていく。人口が過疎の山間部や人口が密集する都市部などの各地域と、各地域に家庭医の仕組が導入された時期によっても異なるが、家庭医と看護師各一人の組み合わせは約120世帯から380世帯、約600人から最大1500人に一組の割合で配置され、原則として治療をせず(簡単な治療のみ実施)、体調について問診し、きめこまやかな健康指導を担当地域の住民に行うことに注力する。
家庭医が行なっている健康指導の一例として、自宅の庭に自生または有機農法の家庭菜園で栽培する、身近なハーブや薬草の使い方のレクチャーがある。家庭医と看護師のペアは、午前中は外来に対応し、午後に訪問診療や担当地区の健康統計の収集を行なう。その際、病気に罹っていない他の家族のケアも行うのが一般的だ。「社会的背景やファミリーヒストリーを知っているので、遺伝的に罹りやすい病気の有無も家庭医は把握しており、その情報に基づいた健康指導を行うことができる。」と小野氏は語る。もちろん、近代医療に基づいた治療、投薬も行うが、あくまでも「自然伝統医療とのハイブリッド」が基本だ。
加えて、幼い頃から健康教育を教育カリキュラムとして取り入れていることも特徴だ。キューバでは、小学生に対し、身近なハーブや薬草などをどのように疾病の予防や治療に役立てたら良いかを教える教育を約30年前から行っている。その結果、キューバ国民は子どもから大人に至るまでこれらの自然伝統医療をベースとした予防医療の知識を、広く身につけることとなった。「自分の健康は自分で守る。いざとなればサバイバルする。」という国民性は、ゲリラ戦を戦い抜いたキューバの伝統だ。
自然伝統医療の医薬品も扱うハバナ市内の薬局(写真提供:小野直哉氏)
予防医療とワクチン開発で世界有数の医療大国へ
予防医療だけがキューバの医療の強みではない。医療従事者を世界に派遣し、先進医療を導入することにも積極的に取り組んでいる。
とりわけ、難病治療薬、ワクチン開発の分野では、キューバは他国を大きくリードしている。ワクチン開発は、研究開発に莫大な予算と時間がかかる。民間の製薬会社がビジネスとしてワクチン開発を行なう場合、その開発が当たれば利益は大きいが、外れた時のリスクが大きすぎるため、積極的な投資を行いにくい。今現在世界中で流行しているCOVID-19のワクチン開発は成功すれば莫大な利益が見込まれるので、官民問わず世界中の製薬会社がワクチン開発に全力で取り組んでいる。しかし、キューバは社会主義国であるが故に、国家戦略としてワクチン開発に積極的な投資を行なうことができ、継続的なワクチン開発が可能になる。継続的なワクチン開発で積み重ねた知見は、新ワクチン開発にあたっての有効なデータベースになる。また、自然伝統医療や熱帯医学の知見も創薬にプラスに作用している。自然由来の多様性に富んだデータベースを活用した創薬に対するアプローチは、2010年代から始まった現在の世界中の創薬において最先端の方法であり、ヘルスケア市場においてキューバは独特の存在感を放っている。
キューバが先進医療に力を入れ、ベネズエラやハイチといった近隣諸国に医師を派遣するのは、国際的なキューバの人道支援政策への共感者を多く作るという効果があるという。キューバは常に経済制裁を行ってくるアメリカのフロリダからは飛行機で約30分の距離にあり、有事の際には近隣諸国との関係性の良し悪しが重要になってくる。
プライマリケアを担うコンサルトリオの家庭医と看護師(写真提供:小野直哉氏)
「統合医療」で特異な医療先進国となったキューバから日本は何を学ぶべきか
このように、キューバは医療の分野において世界を見渡しても特異な存在となっている。キューバから、日本はどのようなことを学ぶべきなのだろうか。国民の生活の隅々にまで広がるプライマリケアをベースにした強固な医療体制、国を挙げての新薬の開発、それらの知見を活かした医療外交は他の国では見られないキューバ医療の強みだ。事実、各国の保険医療のランキングを示すWHOの調査(The WORLD HEALTH REPORT2000)において、キューバは医療の効率性の総合評価でアメリカの37位とほぼ同値の40位に位置しているが、医療費については118位となっており(アメリカは1位)圧倒的に低い医療費でアメリカと同等の医療水準を担保していることが見て取れる。
これらの医療先進国のキューバの実力は、近代医療と自然伝統医療をハイブリッドした「統合医療」によって支えられている。キューバの「統合医療」から日本が学ぶべきことは多い。小野氏は日本がキューバに学ぶべき点を次のように指摘した。
「キューバを見てわかるように、医療分野における競争力の源泉は国民の高い教育水準と経済的困難に見舞われたが故の実利的文化に根差したところにあります。自然伝統医療の多くは、世界の各国各地域の人々の伝統的知識により、文化的に育まれた伝統医療や民間療法に由来するものです。1970年代頃までは、日本の各地域にも伝統的知識により、文化的に育まれた地場の民間療法が多々ありました。それらの中には、科学的検証により、予防医療への活用や、治療や創薬分野での知的財産にもなり得る可能性があるものもあります。しかし、その後の日本の高度経済成長に伴う近代医療の充実と共に、それらは顧みられなくなり、今後20年以内にそれらの多くが消滅するといわれています。また、キューバでは健康教育を初等教育に組み込んでいることで、自分の健康は自分でつくり、維持するという意識が国民に浸透しています。今後はキューバの初等教育のあり方も調査しながら、日本へどのように適用していけばよいか研究を進めていきたいと思います。」
独自のアプローチで、医療先進国となったキューバから日本が学ぶべきことは多い。
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