日本でキューバ

【コマンダンテ誕生日によせて】

2003年、コマンダンテの訪広時の言葉を振り返る。「人類は広島の教訓を十分学び取っておらず、世界はまだ危険のふちにいる。たくさんの人々が広島を訪れなければならない」核の非人道性に嘆き被爆者を労わる、優しい姿を思い出す。

数日前、私は広島で原爆投下75年を迎えた。世界はまだ危険のふちにいる一方で、核兵器禁止条約もあと6カ国と発効に近づいた。生誕100年には、「コマンダンテ、核兵器はなくなります」と報告したいものである。

(写真は2012年、被爆者との会合/ハバナにて)

フイデル・カストロ生誕94 年にあたって

キューバの「特別機 」にあたって、友好と連帯を掲げた訪問団が 1993 年 12 月実施され、それを受け 1994 年 7 月 30 日に日本キューバ連帯委員会(通称: CUBAPON )が結成されました。

結成間もないCUBAPN に当時の 駐日キューバ 大使館の富田君子さんから電話がありました。 1995年 12 月 10 日か 11 日のことです。「フィデルが 12 日来日するので歓迎出迎えに成田空港へ行ってく
れないか」とのこと。 急な話で、 歓迎出迎えと言っても何をしていいかわからず、急遽、模造紙やポスターカラーを買い、手作りでキューバ国旗を 作り CUBAPON メンバー 2 人が成田空港に出向きま
した。ところが非公式の訪日ということかどうか(?)、通常の一般出口ではありませんでしたので、アタフタして何とか出迎えに間に合いました。当会のメンバー 2 人(女性)はハグされて光栄で舞い
上が っていましたが、如何せん我がメンバーは大変小柄で 、大使館からいただいた写真には 大きなフィデルの背中しか写っていませんでした。 (この背中の向こうに私がいるのヨ)と話に花が咲きまし
た。

フィデル・カストロ元議長の「すばらしさ」

半世紀を超える革命後の足跡を振り返るたびにフィデル・カストロ元議長の「すばらしさ」を再認識させられています。米国のいわゆる「制裁」やソ連解体など、想像を絶する困難な状況のもとで「人間らしい社会の建設」という理念を守り続けることがいかに難しいことか。この点については、米国の干渉に対するフィデルの「圧力に屈することなく正しい立場を守ること、しかし知的かつ現実的に立ち向かうこと、米国の行動がどんなに理不尽で非人道的であってもキューバの基本原則である誠実さや倫理を失うことなく対応していくこと」という言葉が思い出されます(2000年メーデー演説)。今回のコロナ対策でもこの理念が生きており、厳しい経済状況のもとにありながら、人間の命を守ることを第1に据え、政府と専門家と市民が一体となり、「知」の力と助け合いの精神によって感染拡大を抑止しました。昨年にはすべての人々の自由と平等や参加民主主義を掲げた新憲法が制定されています。いうまでもなく「キューバ独立の父」ホセ・マルティの思想の実現を目ざしたものですが、この基本理念に沿ってキューバがこれからどのような社会を建設していくのか。これはフィデルが革命後世代に託していった課題ですが、ポスト・コロナ時代に向けて世界各国で「新しい社会」が求められている今、私たちにとっても重要な課題であると思っています。

限りない尊敬と敬愛を込めて、フィデル・カストロ議長生誕記念メッセージ

先日、日本のテレビ(「テレビ朝日」)が、キューバの「コロナ禍に立ち向かう」様子を報道していたのを観ました。「ホームドクター制度があり、全てのキューバ人は無料で医療が受けられるし、徹底して健康管理が行われていて、コロナ禍は封じこまれています。」「自国だけではなく海外にも医師団を派遣し、世界の国々の人々を救っています。」と、「非常に、正しく」報道をしていました。番組のコメンテーターらは「初めて知った、キューバはすごい!」と称賛の言葉を次々と述べていましたが、この番組を観た多くの視聴者らも、そう思ったのではないでしょうか。(ただ、残念ながらアメリカによる経済封鎖が続いていて困窮していることなどは、ほとんど触れられませんでしたが。)

 

私たちは知っています。革命後、カストロ議長がすぐにとりかかったことが医療制度を確立することであり、それも、国家予算の25%を医療に充てる事を実行し、継続してきたことを。そして、アメリカからの経済封鎖・貿易・金融封鎖が続いている最中でも、何よりもキューバ国民の健康を第一に考えることは、継続されてきたことを。

さらに、アメリ合衆国でハリケーンによる大災害が起きた時、「ヘンリー・リーブ隊」という名のキューバ医療隊を派遣することを、カストロ議長が提案し実行されたことを。

フィデル・カストロの驚くべき予見力

偉大なる革命指導者のフィデル・カストロ同志がなくなって4年が経過しようとしています。キューバ革命史を研究する私にとって、フィデル・カストロ同志の傑出した長期的洞察力を感じさせる歴史的な事件が2件あります。

 

一つは、1958年6月5日にシエラマエストラから、同志のセリア・サンチェスに宛てた次の手紙です。

「シエラマエストラ

58年6月5日

 

セリア:

マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この(バチスタとの)戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。

フィデル」

 

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