「フィデルと平和」カティウスカ・ブランコ
フィデルは、ホセ・マルティの「思想の塹壕は石の塹壕よりも価値がある」という考えを深く信奉しており、民衆型の戦争においては帝国に有効な方策など無く、通常型戦争つまり民衆を敵とする戦争においては、世界のあらゆる軍事力や技術力など無意味であると常に考えていた。その例として、彼はナポレオンという歴史上の事例を挙げ、こう語った。「ナポレオンはヨーロッパ全土で勝利を収めた将軍だったが、スペインに侵攻した際、スペインの民衆に打ち負かされた。農民と労働者からなる民衆と戦うにあたり、ナポレオンのあらゆる戦略的能力や戦術は役に立たず、民衆は別の種類の闘いによって彼を打ち負かしたのだ。おそらくナポレオンならアウステルリッツやその他の多くの戦場と同様、10万のスペイン軍を打ち破っただろう。彼自身、勝利を確実視していたワーテルローの戦いで敗北した。遠く離れたところにいると思いこんでいた敵部隊が突然現れて彼を打ち負かしたのだ。その手の戦いは勝つこともあれば負けることもあるが、民衆を相手にした戦争では、そう簡単にはいかない」
しかし、広島と長崎で起きた出来事は全く異なる状況を示しており、新聞やトルストイの『戦争と平和』で読んだ内容をはるかに超えるものであった。この作品は、重大な岐路を題材とし、著者は紛争がもたらす喪失と痛みの意味について考察している。フィデルは米国による日本への犯罪的な原子爆弾投下を契機に、現代には別の種類の戦争、つまり、地球上の人類の存続さえも脅かす、破滅的で終末的な規模の戦争――すなわち核戦争――が存在するという確固たる確信を抱くようになった。キューバは1962年の「10月危機」の際、まさにその瀬戸際に立っていた。この脅威は長い間続き、彼の思考に潜在的な懸念として残り、あらゆる民族のための平和を求める闘いの原動力となった。
フィデルの考えでは核戦争がもたらす課題は解決不能であり、それゆえ、あらゆる核兵器を廃棄することが最善であると常に主張していた。地球がそのような大規模な戦争、まさに大災害が勃発する可能性に伴う絶え間ない危険と共存することを強いられることのないよう、フィデルは完全な軍縮を粘り強く訴え続けた。たとえ過失によるものであっても、そのような悲劇が引き起こされる可能性があると警告していた。なぜなら、残念ながら、科学者たちが人類の手に委ねた莫大なエネルギーは、核兵器のように自滅的で残酷な兵器を生み出すことにも利用されてしまったからである。
2003年3月、フィデルは中国、ベトナム、マレーシアを歴訪し、マレーシアで「第13回非同盟諸国運動首脳会議」に出席した後、その帰路で日本へ立ち寄り、広島を訪れた。「残念ながら、広島で起きたことは世界にとって教訓とならなかった」と批判した。広島での悲惨な出来事の後、世界が信じがたいほどの軍拡競争へと突き進んだと振り返った。平和記念公園を訪れた。そこは静寂に包まれ、毎年、核の惨劇の犠牲者が追悼される場所である。フィデルは平和記念資料館の芳名録に「このような蛮行が二度と繰り返されないことを!」と記した。そのような行為が、ソビエト連邦や世界中のあらゆる民族を威嚇し、当時の地政学的優位性を確保するために実行されたものであり、一部の歴史書で語られているように、ファシストのドイツやイタリアと同盟を結んでいた大日本帝国との戦争に勝利するためではなかったと考えると胸が深く痛む。
2010年9月21日、フィデルはハバナでピースボートの船旅に参加した約600名と面会した。ほぼ全員が日本人であり、ヒバクシャ運動のメンバーで原爆を生き延びた渡辺淳子さんも含まれていた。平和を求める闘いにおいて貴重な経験を積んできた人々との交流を、フィデルは極めて特別かつ重要なものと評価した。その経験には、2つの平和的な都市に対して核兵器が使用されたという、極めて残忍かつ前代未聞の惨劇に関する証言や胸が張り裂けるような体験も含まれていた。そして、ピースボートの船旅は、人々の意識を高める一助となる良い例であると指摘した。なぜなら、当時の出来事やその人的被害を改めて紹介することで、時が経った今でも、国際世論に再び深い衝撃を与えているからである。「「戦争というものが何であるか、これほど雄弁に物語る出来事は他にはないだろう」と語った。
2016年2月14日、フィデルは夜10時18分に署名した連載『考察』の中で次のように述べた。「平和は人類の黄金の夢であり、歴史上のあらゆる時代において諸民族が切望してきたものだ。[…] 平和を求めて闘うことは、宗教や出身国、肌の色、年齢を問わず、すべての人間にとって最も神聖な義務である」
90歳を迎える2016年8月13日の前夜、彼は「誕生日」と題した連載『考察』を発表した。その締めくくり近くに、こう述べた。「米国大統領(バラク・オバマを指す)が訪日した際の演説には高潔さが欠けていたと思う。原爆の威力を知りながらも、広島で数十万もの人々が虐殺されたことについて謝罪する言葉が欠けていた。人命の支配者たちが無作為に選んだ都市、長崎への攻撃も同様に犯罪的だった。だからこそ、平和を守る必要性を繰り返し訴え、いかなる大国も数百万もの人間を殺害する権利を手にしないよう主張しなければならない」
告発、永遠の闘い、連帯と正義を求める激烈な活動――これこそ、フィデルが現代を生きる私たちへの羅針盤として遺してくれたものだ。
Tomado de: https://redh-cuba.org/.../fidel-y-la-paz-por-katiuska.../...
