日本でキューバ

「キューバでは、患者を『カスタマー』ではなく『ひとりの人間」として扱う」ラミレス駐日キューバ大使インタビュー

知られざる医療先進国キューバの取組み(3)

カリブ海に浮かび、レトロな市街地の雰囲気が人気の島国キューバ。日本人からは観光地としてのイメージが強いキューバだが、実は今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の封じ込めにいち早く成功しつつあり、知られざる医療先進国であることが明らかになった<特集(1):「キューバはいかにしてコロナを封じ込めたのか 経済制裁の中で発達した医療システムと独自の医薬品が奏効」参照>。

その背景には、ソ連崩壊後のアメリカの経済制裁により、医療機器や医薬品が輸入できないという窮地に立たされる中で、近代西洋医学だけでなく伝統医学も併用する「統合医療」と、予防と健康増進に主眼を置いた医療政策としての「プライマリケア」を発達させ、国を挙げて医療教育を実施してきたキューバならではの事情があった<特集(2):「平均寿命はアメリカ以上。医師数は日本の3倍 知られざる医療先進国だったキューバ。その歴史と実力に迫る」参照>。

今回、ラミレス駐日キューバ大使への特別インタビューを通じて、「知られざる医療先進国キューバ」の取り組みを聞いた。

平均寿命はアメリカ以上。医師数は日本の3倍 知られざる医療先進国だったキューバ。その歴史と実力に迫る

知られざる医療先進国キューバの取組み(2)

 カリブ海に浮かぶ人口1,100万人の島国・キューバ。レトロな街並みとクラシックカーが人気の観光地だ。音楽とラム酒と葉巻のイメージが強いキューバだが、独自の対策と開発した薬により、今回の新型コロナウイルスによる感染症の抑え込みに成功しつつある。<特集(1):「キューバはいかにしてコロナを封じ込めたのか 経済制裁の中で発達した医療システムと独自の医薬品が奏効」参照>。

 その背景には、キューバが国を挙げて推進してきた「プライマリケア」の取り組みがある。

キューバ革命の指導者フィデル・カストロ・ルス

コマンダンテから、私たちが学ぶもの、受け取ったものは、何と大きいのでしょう。それは、人間の真のあり方、最も美しい生き方です。

 人間にとって、自由と尊厳ほど尊いものはありません。

フィデルは言いました、「自由になるために、キューバ人はすべてを捧げ、すべてを危険にさらし、命さえ賭す」
その言葉どおり戦い、そして、フィデル率いる人々は勝利しました。これは、世界のすべての人々に、模範を示し、希望を与えました。
更に、革命勝利後、半世紀以上もの長きにわたって、世界最強米国の、残虐非道の「封鎖」にキューバ人民が一丸となって立ち向かい、なお尚、自由と尊厳を守り抜いていることは、キューバが“希望の星”と言われる所以でしょう。

【コマンダンテ誕生日によせて】

2003年、コマンダンテの訪広時の言葉を振り返る。「人類は広島の教訓を十分学び取っておらず、世界はまだ危険のふちにいる。たくさんの人々が広島を訪れなければならない」核の非人道性に嘆き被爆者を労わる、優しい姿を思い出す。

数日前、私は広島で原爆投下75年を迎えた。世界はまだ危険のふちにいる一方で、核兵器禁止条約もあと6カ国と発効に近づいた。生誕100年には、「コマンダンテ、核兵器はなくなります」と報告したいものである。

(写真は2012年、被爆者との会合/ハバナにて)

フイデル・カストロ生誕94 年にあたって

キューバの「特別機 」にあたって、友好と連帯を掲げた訪問団が 1993 年 12 月実施され、それを受け 1994 年 7 月 30 日に日本キューバ連帯委員会(通称: CUBAPON )が結成されました。

結成間もないCUBAPN に当時の 駐日キューバ 大使館の富田君子さんから電話がありました。 1995年 12 月 10 日か 11 日のことです。「フィデルが 12 日来日するので歓迎出迎えに成田空港へ行ってく
れないか」とのこと。 急な話で、 歓迎出迎えと言っても何をしていいかわからず、急遽、模造紙やポスターカラーを買い、手作りでキューバ国旗を 作り CUBAPON メンバー 2 人が成田空港に出向きま
した。ところが非公式の訪日ということかどうか(?)、通常の一般出口ではありませんでしたので、アタフタして何とか出迎えに間に合いました。当会のメンバー 2 人(女性)はハグされて光栄で舞い
上が っていましたが、如何せん我がメンバーは大変小柄で 、大使館からいただいた写真には 大きなフィデルの背中しか写っていませんでした。 (この背中の向こうに私がいるのヨ)と話に花が咲きまし
た。

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