日本でキューバ

ブル―ノ・ロドリゲス・パリ―ジャ、キュ―バ外相によるポッドキャスト「Cuba Analysis」とのインタビュ―

 

ブル―ノ・ロドリゲス・パリ―ジャ、キュ―バ外務大臣は今週、ポッドキャスト「Cuba Analysis」とのインタビュ―において、米国が課している経済・通商・金融封鎖は、極めて深刻な人道的影響を伴うジェノサイド行為であると述べました

2026年9月3日 10:09:35

ブル―ノ・ロドリゲス・パリ―ジャ

写真:Cubaminrexより

 

ヘレン・ヤッフェ(HY:ポッドキャスト「Cuba Analysis」へようこそ。本日は、ブル―ノ・ロドリゲス、キュ―バ外務大臣をお迎えできて光栄です。大臣、お忙しい中、本日私たちとお話しいただく時間を割いてくださり、ありがとうございます。

 

BRP:ありがとうございます。本当にありがとうございます。光栄です。

 

キューバ大使、ラテンアメリカ協会の新会長を迎える

[9月2日、東京] (一社)ラテンアメリカ協会の新会長、山田 彰大使はヒセラ・ガルシア駐日キューバ大使と懇談し、同協会の活動やキューバ大使館との今後の交流について意見を交わした。

 

席上、山田大使は日本に拠点を置くラテンアメリカ・カリブ諸国との連携を促進したいという同協会の意向を伝えた。現在、ラテンアメリカ・カリブ諸国の在京大使館グループの輪番議長国を務めるキューバ大使は、今後数ヶ月以内に、より幅広い交流を行うことを提案した。

 

1958年に設立されたラテンアメリカ協会は、日本とラテンアメリカ・カリブ諸国との相互理解、友好・協力関係の増進に取り組んでいる。

駐日キューバ大使館、キューバ・スポーツ界のレジェンド、ミハイン・ロペス氏を歓迎

[2026年8月27日、東京] 駐日キューバ大使館では、レスリング・グレコローマンスタイルで五輪・世界選手権5連覇を達成したミハイン・ロペス・ヌニェス氏が来日したことを歓迎し、交流会を開催した。これには、日本のスポーツ界や専門メディア、日本在住キューバ人コミュニティ、キューバの友人、大使館職員らが参加した。

席上、大使館のホルヘ・クレスポ スポーツ担当参事官は、五輪個人競技の同一種目での5連覇(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、2020年東京、2024年パリ)を達成した唯一の選手である彼の輝かしい経歴を称えた。さらに、世界選手権5連覇とパンアメリカン選手権の複数回優勝についても言及し、スポーツ史上最も偉大な選手の一人であると評した。

ミハイン・ロペス氏は、東京2020で4大会連続金メダルを獲得した経験を振り返り、日本への再訪について「第二の故郷に帰ってきたような気分だ」と語った。

キューバにとって、彼はスポーツ界のレジェンドというだけでなく、規律や忍耐力、謙虚さ、愛国心といった価値観を体現する存在でもある。

このたびの交流会は、彼の輝かしい実績を称えるとともに、スポーツがキューバと日本、両国の友好と相互理解の架け橋として果たす役割について再確認する場となった。

 

キューバ共和国外務省声明

2026年8月13日 17:08:23

 

キューバ共和国外務省は、ドミニカ共和国政府が行った同国駐在のキューバ大使館の外交官10名とその家族を追放するという決定を、最も強い言葉で非難する。

 

ドミニカ当局によるこの決定を正当化する理由は、何一つない。キューバの外交官たちは、常に1961年の「外交関係に関するウィーン条約」を厳格に遵守し、この兄弟国であるドミニカ共和国の法律を完全に尊重して行動してきた。

 

この措置に対する説明は、ドミニカ共和国政府が米国政府の圧力に屈したことに他ならないことである。米国政府は、キューバを孤立させようとする中で、キューバとこの地域の諸国との外交関係を損なうことを企てている。

 

ドミニカ共和国政府が、わが国に対する米国の敵対的な政策や攻撃的な行動に同調するのは、今回が初めてではない。延期された第10回米州サミットからのキューバの排除や、国連総会におけるキューバの経済封鎖反対決議に対するドミニカ共和国の投票態度の変更などが、その例である。

 

フィデル・カストロの素顔――通訳から見たリーダーの人間性

フィデル・カストロの素顔――通訳から見たリーダーの人間性

山中道子さん インタビュー 斉藤真紀子

キューバという国と人びと、そしてスペイン語に魅了されて60年――。キューバ大使館で大使のスペイン語通訳を務める山中道子さんは、長年にわたり日本とキューバの架け橋となってきました。フィデル・カストロ(以下、フィデル)の通訳を務めた山中さんに、間近で接したからこそ分かるフィデルの素顔や印象に残るエピソード、キューバへの思いを聞きました。

――フィデルと初めて会ったときの印象を教えてください。

山中 初めて会ったのは、1972年、キューバで通訳をしたときです。建設機械や鉱山機械の大手メーカー、コマツ(小松製作所)の視察に、通訳として同行しました。フィデルが扉を開けて入ってきた瞬間、圧倒的なオーラを感じました。憧れていた人物でしたが、実際に目の前にすると、ただ歩いているだけで周囲が息をのむようなカリスマ性がありました。

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